2016年08月11日

代表的なもの

あああ。今日の記事、論点が、ぼやけて、シャキシャキ感がゼロである。


偉人たちは、すごい名句を遺している。
う~んと唸る・・・。

今、わたしは、まだ生きていると、なかなか白鳳丸功效美味しい干物にはなれなくて。


芸術ってなんだ?
わたしは、芸術を理解していない。
理解している自分に憧れるが、知識・教養の一部程度で留まっている。
入り口の告知板の前で、ポスターをじっと見つめる。
それ以上は、わからない。

芸術の理解の仕方・・・そういう手引書小牧味屋みたいなのが、いっぱいある。世の中には。
わかりやすく明確にまとめると、義務教育の、音楽、美術の教科書に書いてあるような内容だ。
歴史・背景・人物・作品・・・実際にそのうちのに接してみる。

そこで、やわらかい感性の学生は、鑑賞して衝撃を受けたりするのだが、
ああ、私は、寝ている。脳の休息時間。

5教科以外の副教科は、お休み時間。
脳に刺さった苦痛が取れる時間。答えを迫られる苦悩からの開放時間。

今、思えば、これは究極の脳の悦びなんじゃないかと。
そう、こじつけてみる。

芸術に理屈はいらない・・・はず。
しかし、何年も必死で生涯を捧げjacker薯片て研究している人に、そんなことを言うと、
その人の人生そのものを否定しているかのようになってしまう。


芸術は、理解する側と、創る側に分かれる。
あと、理解しない無関係側。

喝采を浴びている芸術がまるでわからないと、けっ、と思ってしまう、わたし。
上手ではあるが、芸術との違いがわからない。

本人が死んだ後、評価される芸術家も多い。
時代より先に生まれてしまった人々だ。
時代は、微笑まなかった。
では、芸術を評価する人そのものって、何なんだ?


今日の記事、おそらく、10000%の人が興味ないだろう。
そして、「自称・芸術がわかっている人」ほど、うさんくさいものはない。

哲学&芸術・・・これって、「生活」と真逆の次元。
超・現実主義者であるわたしは、今晩のおかずを考えてしまうのである。
しかし、この「超」は、「とても&大変&非常に」という意味なのか、「スーパー&超越している」という意味なのか。

眠って死んだように静まり返って、脳を休めている時間が、わたしには究極の至福の時なのかも知れない。

あ、それなら、小学生の時からだ。
授業中、よく居眠りしてた・・・
とても幸せな小学生だったわけで、今日までそれが続いているってことだ。

このラインは生涯続くと思われるので、将来は、安らかに永遠の眠りにつけそうだ。
  


Posted by 至上勵合 at 16:37Comments(0)